11 posts tagged “子供”
すでにリピーターも多く週末・休日の予約は数ヶ月先までいっぱいでヤフオクとかで取引されてるっつー噂もあるキッザニアでございます。
舞浜にガキども連れてくより安上がりでラクでしかもなんとなくタメになるっぽいし(実際「これキッザニアでやったんよー!」とガキどもいろいろ自慢げやったりするし)。
翻って京都。
●雇用機構、9月に抜本見直し 行革相「解体・廃止軸に」(日本経済新聞)
特に同機構が運営する職業体験施設「私のしごと館」(京都府)は「国がやる意味があるのか」と指摘した。
ハコモノ利権の人たちはとっくにトンヅラで、こさえてしまったら知らないもーん、ですから、あとはランニング利権(てのもあるでしょ)の人たちにちょっと「えええ?」な思いをしていただきましょう、ということのようです。
「失業対策」とかってええ言葉ですね。「環境対策」ええですね。そういうの、ぎょうさんありますね。
みんなもうダイヤルQ2忘れてしまったのかねぇ、、、
そう、多くの学校裏サイト論者は、ネットが「関与」していることと、ネットが「原因」であることとを混同し、「ネットいじめ」をネットの問題に狭小化し てしまっている。つまり、しかめっ面でケータイの弊害を憂うヒョーロンカのおじさん達は、ネットの弊害ありきで問題を見るあまり、現実のコミュニケーショ ンの手当てという発想に至らないのだ。
とどのつまり、ケータイを使用禁止にしたって、いじめは起きる。したがって「ネットを使わせなければよい」という処方箋は、いじめそのものを防ぐための有効な解決策にはなりえない。
ただ、処方箋という点では、心もとなさを感じる点も否めない。まず、著者の提案を実現させるためには、けっこうな手間とコストがかかりそうだ。さ らに、著者はいずれ、親世代が子世代にケータイ・リテラシーを教えられるようになることを予測しているふしがあるが、はたしてそうだろうか。
●幸福の第一原則(404 Blog Not found)
最後通牒ゲームの件はよくわからないけれど、私が日本人とか日本という国全体に感じていることを突き詰めてくと「つまり幸せになろうとしていない」というのがあって、こういう大量に湧いて出るブクマに対する違和感は共有できる。
以下なんとなく箇条書き。
幸せとは決して快楽のことではないのだけれど、快適な状況が幸せをもたらすこともある。それは概ね自分で作れるが国家や社会が阻むこともよくある。戦争などが代表例。
韓国人が「韓国は恨(ハン)の国である」というのに対して私は「日本は妬み嫉みついでに僻みの国である」と思うことがよくある。
子供ってイキモノを見ていればわかるけれど、子供は他人の細かなことが気になる。日本じゃなくてもその社会の成人に比べると妬んで嫉んで僻んでることが多い。
子供ってイキモノを見ていればわかるけれど、子供はなぜか(ローカルな)ルールを作りたがり、そしてその中にいない者を排除したがる。
世の中戦争だよ、というのに「あっちの兵隊の方が食事の量が多い」などと言ったりするのが子供。自分の快適な状況を阻む根本的な物を除去するという発想がない。
大人は自分を躾けられる。または躾けようとしている。
自分が選択した物を「いいでしょ?」と他人に認めさせないと精神的安寧を得られない状態は幸せではない(そういった人が世界的に見ても女に多いのは文化的に女が個として独立できない社会に要因もあったりする)。ブログなんて物を見てるとまさに女の「いいでしょ?」の洪水である。そこで「全然羨ましくないです」などといちいちコメントするのは野暮ではあるけれど。
幸せとは人生における余裕のことでもあり、精神的な余裕もさることながら物質的な余裕も含まれる。但し物質的な余裕のみから精神的な余裕をクリエイトするのはなかなかの力業である。
精神的な余裕があれば物質的な余裕の少なさはさほど気にならないけれどそれにも限度はある。精神的な余裕を侵食する物質面での欠如という物もある。衣食住足りて礼節を知るとはよく言ったものである。
ちょっと前までは(場合によっては現在も)宗教という物が自動的に「幸せを目指す装置」も兼ねていた。
勝手に自分の神を想定し勝手に哲学している分にはその装置は大いに機能するが、宗教のもうひとつの大きな側面であるところのコミュニティという物において、そのルールに乗らない者の扱いが政治課題になり、疑問を背徳とし狂信盲信思考停止を良しとするのは単なる大きな集団をまとめるためのテクニックに丸め込まれているだけで幸せ装置は運がよければ当選する会員特典でしかない。
情報インフラがほとんどなく一生コミュニティ外の人間と接する機会がないのなら当選確率は抜群に高くなる。
大人になろうとすることと幸せになろうとすることは似ている。但し「大人」でも外的要因によって不幸になることもある。
あと大人の男と大人の女の「大人」は異なる。
「女子供」とはよく言ったものである。それをポジティブに実感できなければまず男ではない(し「大人の女」でもない)。
当然だが成人全員が大人であるわけがない。
だんだん止まんなくなってきたのでとりあえず話を折っておく。
●【秋葉原通り魔事件】「酒鬼薔薇」世代、教育の落とし穴(産経新聞)
わたくし(よりチョイ上かも)の世代が彼ら犯罪者の親の世代である。
「幼少期から『個人の自主性が大切』『校則はいけない』『詰め込みは悪』という教育にどっぷりとつかった世代」と振り返る。
すでに50歳ってのにそんなファンタジーの中に生きてる「同世代」はたくさんいる。
それは小学生が「お菓子の家に住みたい」とか「ウルトラマンになりたい」とか言ってるのと意味は一緒、要するに社会に対する責任のない人間の無茶な願望なのだけれど、刷り込みとは恐ろしい。
延髄反射で「権力は悪」とか「世の中カネカネ、カネだらけ、カネのことしか考えてないのか」みたいなオッサンオバサンはかなりいるでしょ。
今でもどこかにそんな学校システムはあると思うけれど、我々を育てた世代てのがかいつまんで言うと軍隊だから(高校生の野球大会とかみてると「まだあるな」とは思う)そういった反発は当然といえば当然なのだが、では軍隊ではなく将来を担う次世代を育てるにはどうしたらよいかという提案はお菓子の家の前ではかき消され、自分たちのトラウマへの仇討ちを次世代に託すことになってしまった。
「勉強ができる、できないは子供にとって切実な実体験。それが『できなくてもいい』という教師によってぼやかされ、努力の大切さという当たり前のことも教えられていなかった」という。
「勉強(=成績)」という切り口「だけ」なのはさらに問題をややこしくするところではある。でも「努力ができない」ってのは同世代にゴロゴロいる。
これはもう団塊くらいから始まっていたのだと思うけれど、ネタで犯人を特定すると梶原一騎がやりすぎた→努力とかってカッコ悪い(「カッコ悪い」という言葉も昭和のまっただ中に生まれた)を若者の頃に刷り込まれて、脳が柔軟なときに脳内努力域を鍛えてないから少々のことですぐいっぱいいっぱいになってしまう、どうなのよ(>自分)と思っていたらさらに低いスレショルドを超えられないファンタジーの増大が私たちのあとの世代にまでざーーーっと広がっていて驚く。
なんで子供の頃に「必死」とか「達成」とか「挫折」とかを脳に経験させないといけないかというとすぐ「競争社会だから」と答える人がいるけれど、そうではない。
幸せな大人になるために開発しておくべき脳の領域なのだ(もちろんそれだけではない)。
不幸な52歳の子供、みたいのがくたびれたツラ下げてゾロゾロしていて「若者の閉塞感」もへったくれもないと思う。
蛇足ながら加えておくと女ばかりに子供の面倒をみさせてきたツケってのもあると思う。
女ってのは亭主とか姑とか自分の親とかに対する復讐を子供にしてしまう(ことがある)ってのを男はよく理解しといた方がいいと思うよ。それは今に始まったこっちゃない「特性」のひとつなので自分の遺伝子が可愛かったら女たちになるべく復讐させない戦略を練った方がいいんじゃないでしょうか。
こういうド正論を思いつく人たちからやっとこ意見が出てきた(リンク先PDF)。
●子どものネット利用に大人はどう向き合うべきか(ITmedia)
上記団体の発起人のリストをみると携帯のキャリアやコンテンツ屋が、最もやり玉に挙げられてるDeNA(モバゲーの会社)からdocomoからドワンゴからJASRACの人からズラーーーッと並んでいる。だからチョイと業界寄りとは言ってもこんなもんやろ、と思うけどな。
●はてなモバイル版、フィルタリング対策で騒動 仕様変更、4日で撤回(ITmedia)
ブログサービス「はてなダイアリー」モバイル版の仕様変更をめぐって騒動があった。はてなIDでログインしていないユーザーは、4月18日からコメントを読み書きできなくなっていたが、これにユーザーが猛反発。結局、22日に元に戻った。
総務省の要請で携帯電話事業者(キャリア)が進めている、携帯サイトのフィルタリングに絡む対策だったが、はてなは「ネットのオープンで良い側面も削いでしまう間違った変更だった」とし、ユーザーに謝罪した。
仕様変更は、携帯キャリアの要請を受けて行ったという。携帯キャリアは総務省の要請を受けてフィルタリングサービス強化を図っており、同社に対し ても、「はてなダイアリーのコメント欄が悪用されて被害が生じた際、ログインしていないゲストからの投稿は責任の所在が明確でないということが問題」と指 摘。コメント投稿を会員に限定するよう要請したという。
この要請を受けて同社は「はてなダイアリーが将来、携帯電話事業者サイトからリンクを解除されたり、フィルタリング対象となって低年齢のユーザーが閲覧できなくなるといった不都合が生じる可能性がある」と判断し、仕様変更を決定。15日に発表し、18日に、はてなIDでログインしたユーザー以外は、コメントや、コメント欄の閲覧ができないよう変更した。
だが仕様変更後、多くの携帯ユーザーが反発。「これまでに投稿されたゲストコメントの内容すら見られなくなるのはおかしい」「低年齢ユーザーの保 護のために一般ユーザーが機能を制限されるのはおかしい」といった「もっともなご意見」(同社)も多数寄せられたといい、「今回の変更はインターネットや ブログのオープンで良い側面も削いでしまう間違った変更であるという結論に達し」(同社)元に戻すことに決めた。
もっともなご意見(笑)。
さてこれではてなは有害サイト決定となったんでしょうか。VOXさんはどうなるんでしょうね。
●「携帯フィルタリング、再検討する」とKDDI小野寺社長(ITmedia)
「総務大臣の話を聞いた上で、フィルタリングを再検討していきたい」——KDDIの小野寺正社長は「制限が厳しすぎる」との批判もある未成年の携帯電話サイトフィルタリングについて、4月24日に開いた決算会見の席でこう話した。
KDDIなど携帯キャリア各社は、増田寛也総務相の要請を受けてフィルタリングを強化。今月から、未成年が新規加入する際は、親が不要と申し出ない限りフィルタリングの導入を義務付けている。auは公式サイト以外アクセスできない「ホワイトリスト方式」を導入した。
だが「ホワイトリスト方式では健全なサイトにまでアクセスできなくなる」といった問題が指摘され、総務省が方針転換。同省の検討会では、有害なサイトだけを排除する「ブラックリスト方式」を基本に、利用者が選べる制度を導入すべき——といった提案が出ている(関連記事:携帯フィルタリング、方式は「利用者が選択を」 総務省が改善策)。
小野寺社長は「フィルタリングについては、総務大臣から再び話があると聞いている。その状況を見ながら再検討していきたい」と話し、今後、携帯サイトの危険性について中高生などに教育する機会も設けていくとした。
教育せなならんのはガキどもより総務省の役人とか日本の首相とかのが先やと思います。
( ゚д゚)ポカーン
●子どもの携帯所持、福田首相「ろくなことがない」(朝日新聞)
全文がわからないので「ジジイは飛脚でも使っとれ、電報でもええで」とは言わないが(言っとるて)、昔から「テレビが悪い」とか「エレキが悪い」とか「バイクが悪い」とか「ゲームが悪い」とかさんざん言われてきたってのを思いだした。
三人の子持ちの友人(かなりのガジェットオタ)が小学生の子供の携帯買う現場にいたことあるけど、その人は「パケット要りません」でパケットの契約はせんかった。
中学生ともなるとそうは行かん、てこともあるやろう。せやけど一体どんだけの親が子供のケータイの契約とか中身の管理しとるんかな。
GPSがついとると安心なこともあるし、ケータイ=悪ってどんだけオバチャンくさい脳ミソしとんのかね。
子供にケータイ持たせるとか持たせないとかパケットどうするとか料金どうするとかフィルターどうするなんてのは親の判断であって国にとやかくゆわれることやないと思うんやけど。
昔、友人が自宅に子供を集めてお絵描き教室をやってるところにヒカシューのレコード(CDに非ず)を持って遊びに行ったことがある。
でヒカシューが鳴り始めた途端子供たちが突然落ち着きが無くなってバタバタし始め、「コーノ、それ止めて」となった。
先日新小学2年生の女の子に二胡を持たせて弾かせてみた。ピアノを習っているので音の鳴るものに興味はある。
どうなったかというと弓をひたすら一定のリズムで左右に動かし続け左手は適当。でも、二胡って力のない子供ゆえに「いい音」がときたま出てしまう。彼女はなんとその行為をよだれ垂らしながら延々と続けたのであった。
小学5年生の比較的クールな男の子の横で二胡を弾いていたときである。
オバチャンの弾く二胡なんて完全無視して彼は自分の世界に浸っていたのだけれど、グリサンドの華々しいテクニカルな楽曲、オマエはテルミンか!てなフレーズに差し掛かったら彼はビクッとして「わぁ!」と反応した。二胡はそういうフレーズが多い。ぽにょぽにょとその手の音が鳴るたびに彼は「わぁ!」と反応したんである。
乳児(まだ立つこともままならない)に二胡を聴かせてみたこともある。
弾いている私の足元に超高速でハイハイしてきて腹を見せて裏返りうつろな目をして「ああああ」となった。
乳児の父親はギタリストで家でさんざかディストーションな音を出しまくってるので音に対する耐性はあるはずなのに!と乳児の親たちは未だかつて見たことのない息子の反応におののいていた。
二胡は大人にも来る。
わたくしが最初にウチの師匠の演奏を生で聴いたときは背中がザワザワになって目はウルウルとなった。
バイオリンとかソプラノとか体の芯に来る音を生で聴いたことは何度もあるが、あんな感覚は今までない(最近はそれでも師匠の演奏にいちいち反応しないくらいにはなってきてはいるけど=慣れって恐ろしい)。
じゃあ自分の演奏にもザワザワでウルウルすることがあるかというとそんなことは当然まっっったくないのだが、そんなわたくしのアレゲな演奏にだって背中に走るものを感じる人がたまにいるくらいの楽器が二胡なのだ。
それを子供に聴かせたり弾かせたりするとなんともプリミティブな反応を見せるので怖いくらいである。
かえってそういう反応を示さない子供の方が怖いとも言えるけれど、二胡の音は雷鳴のような「自然が醸す怖い音」に近いのかもしれない(二胡に音量はあんまりありません)。
さてではヒカシューはどうか。
あの落ち着きのなさはどっちかっていうと救急車のサイレンとかに対する反応に近いんではないかと思う。「人工的な怖い音」である。
譜面上は大して怖くないし、音色だって特に恐怖っぽくはないけれど、人を不安に駆り立てる物を持っているんだろう。
そんなヒカシューの巻上さんの奏でるホーミ(モンゴルひとり二重唱)を聴いたことがあるけれど、やはりゾワッときた。
彼は人の生理に訴える音を選択するセンスに溢れたミュージシャンなんやろな。
エロ本「も」あるからガキは本屋に行くなっぽい法律ができちゃうかもしれない今日この頃ではありますが。
●臭いものにフタをしても、何一つ解決しない(小寺信良)(ITmedia)
有害情報に触れなければ、青少年は健全に育つのだろうか。これは児童ポルノ法改正案の時と同じ論理で、表現を見たことと、実際にそうなることの相 関関係は、いまだ証明されていない。仮に18歳未満では健全でも、18歳になってフィルタリングが外されたとたん、有害無害入り混じったネットの世界に放 り込まれることになる。これまでなら経験によって築かれた情報リテラシーによって自ら判断できたところが、その耐性がゼロのままでそんな世界に解き放たれ ることを考えると、親としてはそっちの方がよっぽど危ないと思う。18歳を過ぎたって、親にとっては子供でなくなるわけではないのだ。
この法案は、根本的に子供を育てるという視点が欠如している。有害情報の有害性は、それを見たことで発生するのではなく、有害であることを知らず に実行してしまうことで発生する。つまり判断材料としての経験が不足しているから、それを実行した場合の社会的影響や善悪の判断ができないわけだ。従って 単に有害情報を見せなくするのは全くの逆効果で、「こういう情報がなぜ悪いか」を分からせることが重要なのである。
情報化社会への道を歩み始めてもう何年にもなり、小学生のうちからパソコンやケータイを使う子供も出てきているというのに、まともな情報教育が高 校からでは遅すぎる。小学校のうちから、特別授業として実地を含めた情報リテラシー教育を義務付けるぐらいの政策こそが、必要なのだ。その教育が教員には 難しいのならば、それこそNTT東西や地元プロバイダに協力義務を課して、年に1回2時限ぐらい使って「ネットに詳しいおじさんの、こんなに危ないパソコ ン・ケータイ教室」ぐらいをやるべきである。
ネット自体の浄化に対しては無策のままで、単純に有害情報から遮断するだけでは、何が悪いのかを知らないままに成長してしまうことになる。それで は悪意を持って情報を発信する人間が居ること自体を理解できないので、もうダマされ放題である。さらに、悪いことと分からずに有害情報を発信する、あるい は悪いことと知っててもその影響を理解できずに有害情報を発信する人間を、限りなく量産してしまうだけだ。この法案が示す政策には、子供にも知る権利を認 め、時として成長に必要な厳しさを与える親の愛情が欠如している。
一応ITなお父さんとしての小寺さんのポイント。
●イマドキの小学生、そのインターネット事情(小寺信良)(ITmedia)
未成年者のインターネット使用に対して、親が指導すべき内容を整理すると、ポイントは三つある。
1. ウイルスおよびスパイウェアに対するセキュリティ
2. 出会い系をはじめとするアダルトサイトへのアクセス規制
3. チャットやメール、掲示板など、字面だけのコミュニケーションで起こり得るトラブルの回避
そんでもって「3」について。
例えば筆者と妻との間でも、「今晩ご飯いるの?連絡して!」という短い一文のために、喧嘩になったことがある。
必要事項を伝えているのみだが、この文は最後の「!」一つで印象が悪い。仮に「今晩ご飯いるの?連絡してネ」と書いたなら、そこから読み取れる口 調は、まったく違うものになる。書いた側にはもちろん他意はないのだが、たった「!」と「ネ」の違い、データとしては同じ2バイトにしかならない1文字の 違いで、人間は簡単に喧嘩するのである。
いわゆる「オマエの言い方が悪い論」である。「メシどない?」でもええような気ぃするけど、そのへんが人の文化差だから面白いというか、大変とも言えるところだ。
でITなお父さんモダシンさんはどうしてるかというと;
●小学生を持つ父親に送る子供の「ネットデビュー」時の安全対策(Modern Syntax)
有害サイトに関してはたしかに事前にアクセスできないようにするのも1つの案だとは思うのですが、実際に有害サイトを見てみないと何が有害だかわかんない わけで、有害・無害というのを感覚的に瞬間に判断できる能力を育てたほうが後々まで応用が利くのでいいのではないかと思っています。もちろん、なんに事前 のインプットなしに有害サイトへのアクセスを許容するものはありません。ちなみにうちでは以下のような感じで指導しています。
おそらく世間のフツーの親たち(一部「オバチャンが見たくないもの」強行派の声だけデカい自分に課せられてきた性的抑圧を他人に押しつけるオバチャンを除く)はたいがいそう思ってるんではないでしょうか。
・マウスをリンクに重ねるとブラウザの下の方にURLが表示されるが、この文字列中にわけのわかんない英語の羅列とか「?」マークが入っている場合 はクリックしない。どうしてもクリックしたいときは親に相談&JavaScriptオフでアクセス。ちなみに間違ってクリックすると最悪パソコンが壊れる 場合があると大げさに刷り込んでおくと効果的。
・PCのメールアドレスは持たない。なので会員登録しなきゃいけないところは全部親がやる。
・PCのメールアドレスをもっていないのでID&パスワードなサイトには勝手に入れない。スパムメールもこない。
という感じなのですが、マイクロソフトが出している「うちのインターネットルール」という雛形だと以下のような項目が提案されているのですが、それぞれうちはどうしているかというと、
○インターネットの使い方について、お父さん、お母さんと話し合って決めます。
>話合うな。命令しろ。従わせるんだ。○自分のお友達の名前、住所、電話番号、学校の名前や場所などを教えません。
>自分は必死で隠しているのに友だちからバレだらもうやってられないですね。○インターネットやメールでいやだな、こわいな、困ったなと思うことがあったら、必ずお父さん、お母さんにすぐ知らせます。
>相談されたお母さんもどうしていいのかわからずオロオロしています。○自分や家族の写真をインターネットやメールで送りません。
>メールアドレスは与えない○自分のインターネットパスワードは、お父さん、お母さん以外の人には(親友にも)教えません。
>本人すら知らないブラウザはJavaScriptオフにしてメールアドレスを与えないだけで結構防げますね。Active-X系が怖いですけど、うちのリビングのマシンはMacなのでちょっと安心。
Macにしろと(違)。
●有害コンテンツは見せたくないがフィルタリングは知らない──保護者の7割(Modern Syntax)
保護者、考え甘すぎ(笑
んなもん、アダルト業者が自主規制したり法的にひっかかることやるわけないじゃん。
でも、若いうちはネット詐欺とかブラウザクラッシャーの2~3回は遭遇しておくのもいい経験だと思うけどどうなんでしょうね。うちの子供がブラクラ踏んだ ら指差して笑ってやりますが。アダルトはみたら罰金、ってしておくとクリック先URLに非常に神経質になるので非常に単純ですが子供には有効な方法です。 で、それやっているうちになんだかわかんないけどJavaScriptも覚えますし。「URL中に「?」がはいっているリンクはクリックしちゃいけない」 とか「「JWORD」って書いているActive-Xはインストールしちゃいけない」とか自然に学習していきます。
JWordに関しては皆さん踏みすぎです。JWord(熊谷さんとこ)側のセールストークになんの疑問も持たない人大杉です。
で、JWordがなんなのか知ってるお父さん(and / or お母さん)がいる家庭で育った子とそうでないところで育った子、まだお父さんが仕事でも使ってるノートパソコンにnyをぶっ込んでお父さんの会社のお客様情報が流出してお父さんが会社クビになるくらいのリテラシーがあるならいいけど(よくない)、ネットという世間から隔離されてしまうと今度は格差、ってもんも生じますね。
●「ググる」子供と、「ググれない」子供 (bpspecial ITマネジメント)
僕個人としての考えでは、小学校6年生になったら、どんどんグーグルは使わせた方がいいと考えている。少なくとも、娘やその同級生の世代が大人になるこ ろには、インターネットと英語は必須の世の中になっているはずだ。しかも、インターネットの“世界”は危ないことが多い。だから、早いうちから親の監視下 で、良いことも悪いことも経験させておいた方がいい。
実際、娘専用のパソコンには、早くも怪しげなメールがたくさん届くようになっている。何をすると何が起きるか──実際に体験させながら、自分の身を守る方法を教えていかなければならない。
いずれにしても、うちの娘は既にパソコンとインターネット、それにケータイ世代に突入してしまっている。そうである以上、「ググれる」子供に育つようにしていくのは、親としての役目なのかなと思う今日このごろなのである。
ところがフィルタリングが国民の義務として立法化されてしまったらどうなるんだ。
中学生がプログラミングに興味を持ちだし、ネットにアマタあるプログラミングを親切に教えてくれるサイト(たいがいエロ系萌え系書籍などの広告がサイドバーに貼ってあったりするし)にアクセスできなくなったらどうすんだろ。
「大人の口の利き方」を知らない子どもがどこかの掲示板でぶっきらぼうな質問をして、子どもとは知らない成人に罵声を浴びせられる経験だってないよりあった方がよくないか?
●2ちゃんねるの注意書きは誰もが覚えておくべき名文である(304 Not Modified)
下手なフィルタリングはどう考えたって「教育」になんかならない。